広島県で一番のお茶の生産量を誇った世羅について

広島県にある世羅という場所を知っていますか?

場所的には広島県のちょうど中央・人間に例えるとおへその辺りです。
南には尾道、北は三次。日本海と瀬戸内海に注ぐ分水嶺があります。
昔からとても有名はお米どころで、世羅のお米を和歌山の高野山に献上するために尾道が港として開港したほどです。
つまりは世羅ありきの尾道でした。

世羅は古くから広島県で一番のお茶どころでした。といっても産業としての始まりは90年ほど前のようです。学校の裏にはお茶を植えられ、子供達の授業はそっちのけでお茶摘みや、お茶の種を拾ってきてそれを渡して小遣いを稼いだりしていたみたいです。それぞれの家には必ずムシロと茶を炒る大釜があったみたいです。
お茶の種のほとんどは静岡から運んできたものです。
標高も約300~500mの場所にあり、空気と水が綺麗な土地です。おそらく先人達はここでお茶を作れば香りの高いお茶ができるのではないかと思ったはずです。

世羅は昔は米以外のものは何もないところでした。そのために換金作物として、茶の木が植えられました。茶の木の前はタバコ作りが盛んでした。そして今は、なしや、ぶどう、観光農園が盛んです。今広島県のお茶栽培については瀕死状態で、今現在で私たちが把握しているお茶農家さん(自園自製)達が3軒のみ。高齢化の波は避けられません。ここ数ヶ月の間に大きな茶園が全てソーラーパネルになってしまいました。残念ながら無力な私たちはそれを虚しく見つめていただけで、何もできませんでした。

世羅でのお茶作りは30年前をピークに下火になり、共同茶工場や個人所有の茶工場はどんどん閉鎖されてしまいました。5年前に世羅に初めて来て、荒れ果て錆び付いた茶工場の製茶機械と放棄され伸びに伸び放題になった茶畑を見て本当に自分はここでお茶作りができるのだろうかととても不安になったことを覚えています。